第4章 調査の成果
第9節 25号墓
24号墓
EL=103.50 EL=103.50
EL=104.50 EL=104.50
A EL=105.00
EL=104.00
A' EL=104.00 EL=105.00 A
B B'
A'
B
B'
①
①
Y:22351.000 Y:22349.000
X:26121.000
Y:22349.000
Y:22351.000 X:26124.000
X:26124.000
X:26121.000
(2)遺物(第40図、図版42)
25号墓に伴う出土遺物の種類と数量の内訳は第3表のとおりである。ここでは、墓室内から出土し た完形の蔵骨器1点と銭貨について図示するとともに観察所見を述べる。なお、蔵骨器の観察表につい ては章末にまとめて記載している。
蔵骨器1(第40図1)は、有頸の甕形蔵骨器で、頸部は直口し、口縁部は平坦に成形される。頸部 には貼り付けによる横帯が1条みられ、マド枠は唐破風形で、胴部は文様が施文されない。このことか ら、安里分類(2006)におけるⅦ式にあたると考えられ、1750-1820の年代の資料と推定される。
マドは方形が1つで、内外面とも比較的丁寧に調整されるが、口縁はやや歪む。器高は37.2㎝で小さ いことから子ども用であると捉えられ、後述のとおり内部からは未成人骨が出土した。
蔵骨器の周囲から出土した銭貨は、完形3点・ほぼ完形1点・半存するものが1点である。
第40図2は、洪武通寳で背面は無文である。全体が青錆で覆われ文字の一部がつぶれているもの の、判読には差し支えない程度に状態を保っている。
第40図3は、寛永通寳で背面は無文である。これも全体が青錆で覆われており、「永」「通」の文 字は摩耗が激しくみられるほか、背面の外輪も所々に境目が不明瞭である。「寳」の字の「貝」部の形 状から新寛永であると判断される。
第40図4は、ほぼ半分が残存する資料である。残存する部分には下端に「隆」、左側に「寳」の文 字が読み取れ、背面には満州文字と思われる痕跡を見て取れることから、「乾隆通寳」であると判断で きる。半分は欠失し全体が青錆で覆われるものの、残存部分の状態は比較的良好である。
第40図5は、寛永通寳である、背面は無文である。表面は赤錆、背面は青錆に覆われているが、文 字の判別は容易である。郭内の隅の一つが錆によりやや曲線を呈する。第40図3と同様に「寳」の字 形から新寛永と判断される。
第40図6は、2枚の銭貨が錆により癒着しているものである。2枚のうち一方は乾隆通寳、もう一 方は寛永通寳であることが読み取れる。表面・裏面ともに青錆と赤錆により全体が覆われており、文字 の摩耗が激しく、また、外形も一部が欠損する。
図版番号 出土地点 銭貨名 種別 背文 計測値(㎝ / g)
輪外形 輪内径 郭外幅 郭内幅 輪厚 重量 備考 第 40 図 2
図版 42-2 墓室 洪武通寳 ー なし 2.3 2.0 0.7 0.6 0.10 2.3 第 40 図 3
図版 42-3 墓室 寛永通寳 新寛永 なし 2.3 1.90 0.8 0.7 0.10 2.2 3 期
(八貝寳)
第 40 図 4
図版 42-4 墓室 ○隆○寳 ー あり (2.59) (1.96) 0.76 0.50 0.1 1.5 背面に満 州文字 第 40 図 5
図版 42-5 墓室 寛永通寳 新寛永 なし 2.3 1.9 0.8 0.7 0.7 1.6 3 期
(八貝寳)
第 40 図 6 図版 42-6 墓室
乾隆通寳 ー あり 2.0 1.6 0.7 0.6 ー
3.0
二枚の銭 が錆によ 寛永通寳 鉄一文銭? 不明 2.1 1.8 ー ー ー り癒着
○は不明文字、( )は推定値
第14表 25号墓出土銭貨観察表
(3)銘書
本遺構から出土した蔵骨器等の遺物に銘書の記載は観察することができなかった。
(4)人骨
蔵骨器内から複数体分の未成人骨が出土している。遺構規模や蔵骨器のサイズが小さい点などからも 考えると、本遺構が未成人用の脇墓であった可能性を指摘できる。出土した人骨の詳細については第6 章に記載するため、参照いただきたい。
第40図 25号墓出土遺物 蔵骨器1
1
2
3
5
6 4
第10 節 31号墓・6 6号墓
(1)遺構(第41図・第42図、図版10~12)
31号墓は、調査区中央付近の西側から南側にかけて傾斜する斜面部に位置する横穴式の掘込墓であ る。本丘陵の中では中段に位置する遺構群の一つで、特に31~36・66・67号墓の眼前にはテラス状の 平坦面が大きく広がっている。上記の墓群はいずれも墓口の方向が平坦面の中央に向かっており、共通 する墓庭として用いられていたものと想定されることから、各墓は近縁の一族によって構築されたもの ではないかと推測される。
31号墓は覆土がニービブロック及びクチャブロックによって構成されており、周辺の地山がニービ とクチャの互層であったことから、天井崩落により埋没した遺構であると考えられる。上記テラス状平 坦面を囲む遺構群の中では最も北側に位置していることから、墓口方位は南(N179°W)を向いてい る。幅0.5m程度の墓口から奥に0.5m程度掘られた先に墓室が設けられている。平面は横長の楕円に近 い形状を呈しており、幅1.2m・奥行き0.8mを計測する。遺構として残存する部分は床面と壁面の立ち 上がり部分であることから墓室の高さは不明である。また、墓口にはニービの石が方形に並べられた遺 構が検出されており、サンミデーとして用いられたものではないかと考えられる。
墓室からは奥壁に沿って3点の蔵骨器が直立した状態で出土した。いずれもボージャー形の蔵骨器 で、3点でほぼ墓室を占めていることから、本遺構が小規模な家族墓であったことが窺われる。3点の うち、中央に配置された1点は床面との間に石灰岩の小礫が挟み込まれており、安定して直立させるた めに配されたものであることが確認できる。蔵骨器1及び蔵骨器3の蓋に書かれた銘書からは、本墓に 仲村渠姓のが納められたことが窺えるものの、年代を判別可能な文字を読み取ることができなかったた め、正確な造営年代は不明である。ただし、蔵骨器中には人骨が残存していたこと、ボージャー形蔵骨 器が原位置で残存していたことなどから考えると、本調査区の中では比較的古い段階で埋没した可能性 が指摘できよう。
また、31号墓の西隣に数十㎝程度のごく薄い壁を間に挟んで小規模な掘り込み遺構が検出された。
床面には凹凸が認められ、壁面は31号墓と同様立ち上がり際のみが残存する遺構で、遺物等は出土し ていない。しかしながら、検出された位置や遺構の平面形状などの状況から、31号墓と出入り口を同 じ方向(N179°W)に有する小規模な墓遺構であったものと考えられることから、66号墓と遺構番号 を付した。墓口が残存しないことから正確な奥行きは不明であるが、墓室幅が約0.6mの規模であるこ とから、蔵骨器を1点程度納めるだけの個人用の墓であった可能性が考えられる。
(2)遺物(第43図・第44図、図版43)
31号墓に伴う出土遺物の種類と数量の内訳は第3のとおりである。ここでは、墓室内から出土した 完形の蔵骨器3点について図示するとともに観察所見を記載する。なお、蔵骨器の観察一覧表について は本章末にまとめて記載している。
出土した蔵骨器は蓋と身がそれぞれ3点ずつで、出土状態から遺構埋没時点におけるセット関係を把 握することができた。
蔵骨器1(第43図1・2)は、ボージャー形の蔵骨器である。蓋(第43図1)は、つまみとつまみ 台の無い笠形で、端部はほぼ平坦であるが一部では浮き上がる。外面は無文で、調整にはヘラ調整によ る凹凸を残し、内面には紐作りの痕跡を残す。身(第43図2)は、頸部が直口し、口縁部は玉縁状に成
105
104
34号墓
37号墓 21号墓
66号墓
32号墓
33号墓
36号墓
39号墓 38号墓
41号墓
42号墓 67号墓
62号墓
35号墓
40号墓 31号墓
調査区外
107
第41図 調査区中央に分布する墓遺構群(31~42号墓)
A'A
B B'
66号墓
31号墓
B
EL=106.00 EL=107.00
EL=106.00 EL=107.00
B'
EL=106.00EL=106.00 EL=107.00EL=107.00
A' A
A'A
66号墓
B B'
③
① ②
B
③
B'① ②
瓦片
EL=106.00 EL=107.00
EL=106.00 EL=107.00 Y:22355.000
X:26110.000
Y:22357.000
X:26110.000 X:26113.000 Y:22357.000
X:26113.000 Y:22355.000
形される。頸部横帯は3条で、マド枠は平葺形につくられる。安里分類(2006)では蓋がⅦ式、身が
Ⅳ式に分類されることから、1750~1820年代の資料に相当すると考えられる。また、蓋の内面及び身 の正面には銘書が書かれており、同様の内容であることが窺えるものの、年号の記載は読み取ることが できない。肩部には「十」字状の窯印を認め、全体的には丁寧な成形がなされる。
蔵骨器2(第44図1・2)は、ボージャー形の蔵骨器である。蓋(第44図1)は、つまみが扁平で 小形のものでつまみ台は持たず、蓋裏のつまみ中心部は無孔である。体部は無文で、鍔の端部は概ね平 坦であるが、一部ではやや浮き上がる形状を呈する。身(第44図2)は、口縁部が玉縁状につくられ 内傾しており、マド枠は平葺形でつくられ、頸部の横帯は2条の凹線である。これらのことから安里分 類(2006)において、蓋はⅤ式(1740~1770年代)、身はⅢ式(1700~1800年代)に相当する資 料で、両者を合わせると1740~1770の年代観を得られる。また、身の口縁部は焼成時の不良によるも のか、部分的に歪みがみられ、口唇部には目痕による窪みが複数個所に観察される。
蔵骨器3(第44図3・4)は、ボージャー形の蔵骨器である。蓋(第44図3)は、つまみとつまみ 台の無い笠形で、端部はほぼ平坦であるが一部で浮き上がる。外面は無文で、体部上位は丁寧に成形 されるが、下部と頭頂部は粗くなる。身(第44図4)は、頸部がやや内傾し、口縁は玉縁状に肥厚す る。頸部横帯は3条で、マド枠は唐破風形で作られる。方形で1つのマドを中心に焼き締めによる光沢 第42図 31号墓・66号墓遺物出土状況平面図・立面図及び遺構平面図・断面図